2006年07月11日

平安京がリオデジャネイロ

060711.jpg

あくまでも仮定の話なのだけど、日本はブラジルのようなサッカー大国になっていた可能性がある。


645年。
中大兄皇子と藤原鎌足がクーデターを起こし、蘇我氏による専横政治に幕を引いた史実、大化の改新。
当時蘇我入鹿の「籠の中の鳥」に甘んじていた中大兄皇子に最初に鎌足が接近したのは飛鳥寺西にある槻樹之下の広場で行われた蹴鞠会(けまりえ)だった。

蹴鞠は600年ごろに中国から伝わり、平安時代には皇族・公家を中心に一大ムーブメントを起こした。
彼らは屋敷に鞠場と呼ばれる専用の練習場を設け、日々練習に明け暮れたという。
徐々にルールも整備されていき、平安のロナウジーニョ・藤原成通のような名足が世に名を馳せるようになっていった。

さらに日本に浸透していく蹴鞠は鎌倉時代にはもはや身分の高い者だけではなく、武士や平民までもが嗜むものになっていた。
階級制度の厳しい時代、民衆のストレスのはけ口を作るべく政策の一環として大いに奨励された事で爆発的に発展・普及していった。

鞠ひとつで河原でも路地裏でも場所を選ばず楽しむことが出来た蹴鞠。
ブラジルのストリートと同じ光景が1000年前の日本列島に存在していたということだ。

しかし、蹴鞠は室町時代後期に織田信長に嫌われたことから少しずつ廃れていくことになる。
おそらく貴族やその文化を嫌っていた信長は蹴鞠についても良い印象を抱いていなかったのだろう。
彼は代わりに相撲を奨励した・・・
その結果、現在相撲は日本の国技という位置にある。


もし信長が蹴鞠を擁護していれば400年後に1億2000万人に膨れ上がった日本の人々の落胆を歓喜へと変えていたかもしれないが、それはあくまで仮説。

結局のところ今を生きる我々にはオシムに期待を寄せ、中田の引退い憂うことぐらいしかできないけども、少しもったいない気がする・・・
posted by ISHIZUCHI at 02:24| Comment(10) | TrackBack(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。